
序論
感謝。
それは表面上だけのものであっても、関係性をより良くする魔法である。

特にこの七草にちかのP-SSRカード【受けトル sun Q】において、感謝という言葉はコミュの根底をなす大きな存在である。なにも感謝という言葉は、自分に利益のあることを他者がしてくれたから吐くような反射的な言葉ではない。感謝などしなくてもあなたの親はあなたのことを育ててくれたかもしれないし、感謝などしなくても友人は君の欲しい言葉をくれる。
この感謝の性質、この必然性のなさというものが感謝を尊いものとしているのである。
皆さんは感謝、してますか?
僕は七草にちか(さん)にBIG感謝しているので、本論を書くこととしま〜〜〜〜〜〜〜〜〜す^^
第一項「くたってきたって」
感謝という性質に触れはしたものの、第一章たる「くたってきたって」の主軸のテーマはどうやら感謝ではないようである。
始まりは花屋に訪れた七草姉妹、その姉のはづきがカーネーション売り場の「ありがとうを伝えよう」という文言を見たときにふと呟くのである。
『ありがとう』なんて、いつも思ってるけどね〜 七草はづき
・・・・・・・・・・・・ 七草にちか
言葉にするはづきとにちかの姿は、そのあり方と逆だ。「ありがとう」を思うはづきがそのことを口に出し、おそらく「ありがとう」を口に出すタイプのにちかが口をつぐむ。
ここでにちかが「ありがとう」を口に出すタイプと分析したのは単純に対比させようとしただけではなく、以下に対比を促すかのようなシーンがあるからである。
お母さんのパジャマ、もう大分くたってきてる
次行くとき新しいの持ってこうかな…… 七草はづき
……着慣れてるやつのがいいと思うけど 七草にちか
物の善し悪し、という点についての意見も対比的である。無論、妹というものが姉の意見の逆を言いたくなるものだという単純な心象についても考慮すべきだが、先程の会話に加えてこのような対比構造が生まれていることは無視できないだろう。
新しい服、と聞くとSHHisの初期のにちかが、SHHisという新品の「靴」に自身を合わせようともがいていた姿を思いだすものだが、それも含めて、にちかは着慣れたものの実用的価値を見出しているわけである。慣れているもの、といえばやはり現在のSHHisではないだろうか。ビジネスパートナーを遥かに超え、馴れ合いでは断じてない、心の温まる信頼・交友関係を獲得し、高め合う存在になったのが現在のSHHisである。昔のSHHisのヒヤヒヤするコミュもいいけど、今の仲良し栄養満点ビタミンSHHisも最高ですよね。
対してはづきは、古くなったものよりも、新しいものに価値を見出しているわけである。それは実用性というよりは見た目の問題である。はづきと見た目の問題というとパラレルコレクションで実装されたはづきの姿が年相応になっていること、そして正史においてはづきが「大人びた」服装をしていることが真っ先に上がるだろう。七草はづきは、服装から「役」に入るのである。「役」とは事務員であったり、素の自分であったり、大まかにペルソナのことである。そう考えると事務員が夏場水着でいることも何ら問題がないように思える。服装から入っているだけだ。そんな彼女の発想であるから、古くなった服は新しいものへ、というのは至極自然であるように思える。
ここで注意すべきことは、両者ともに、相手のことを考えてどうか、という軸があるということだ。故に相手に選んでもらうというところで合意、折半を提案しているわけだ。
この章で書かれていることは冒頭でも触れたが、感謝そのものというよりは、七草姉妹の差異であるように思える。この差異を先に書いておくことが、後の章にて大きな意義を得るわけであるが……。
第二項「痛み」
この章では主に、にちかのオーディションが描かれる。
にちかはリンゴの皮むきをするというイカれたオーディションに参加することになるのだが、渡された道具は果物ナイフであった。
皆さんの家には果物ナイフはあるでしょうか。僕はサスペンスでしか見たことないです。だって包丁で事足りるじゃないですか。

七草家にも果物ナイフはなかったようで、小柄な果物ナイフで皮剥きを進めるうちに、にちかは指を切ってしまい、オーディションに落ちてしまう。
このオーディションでは皮むきの素早さ、もしくは剥き終わりの美しさが求められるのだが、にちかは素早さでは敵わないと即座に判断して、綺麗に皮を剥こうとするのだが、そうするうちに手を切ってしまったわけである。うちのアイドルにポケモンのコンテストみたいな評価軸のオーディション用意しやがったやつはどこのどいつなんだよ。
この、丁寧に皮を剥くという行為が、後の過去回想にてなぜ失敗に繋がったのかはづきの言葉で明らかになる。
こわごわやってたら、手切っちゃうよ 七草はづき
丁寧に、失敗しないようにやろうとするのが初心者というものだ。にちかの幼少期のこの記憶は、あるいはオーディションでの使い慣れない道具での皮剥き、いわば初心者の状態に戻ったような状態のときに、フラッシュバックしたのではなかろうか。
にちかの皮剥きは、はづきが見ていてくれたから成功していたのだと、この過去回想でにちかは思い出す。皮剥きの成功は、ひいては彼女の成功は、はづきの存在なしにはなかったかもしれないと、彼女は改めてここで感じ、スーパーマーケットの一角で売られていたカーネーションを手に取るのであった。
それはそれとして、なんで一緒に買物に来ているんだ、シャニPは。そして七草家に男手がないことを察して重いものを進んで買おうとする姿勢は何なんだ。お前がお前で、本当によかった。
第三項「 付き、」
袖付きなら足の速いジェガンがいそうなものだが。

本章はにちかが切った指に貼る絆創膏を探すシーンから始まる。
あるはず、で探すにちかのもとに、ないかもで補充するはづきが帰って来る、というと対比をこすりすぎな気もするので、超有能事務員としてのはづきの嗅覚が光ったシーンくらいに捉えておこう。
ここで一点、確認したい台詞がある。
そのほうが美味しいって、思ったからでしょ 七草はづき
この直前でにちかは、オーディションという大事な場面で皮剥きを失敗した話をしているのだが、それに対する返答としては、一見どうにも焦点があっていないようなセリフである。
思うに、このセリフは七草はづきが、自身の妹の行動動機というものを見透かしているようなセリフなのではないか。つまり、リンゴの皮を剥くというという内容のオーディションだからリンゴの皮剥きをしたのではなく、根本的に、皮を剥いたリンゴのほうが美味しいから皮を無意識的に剥いていたのだと言っているのである。皮の剥かれたリンゴは、七草家の幸福期、そして姉妹の交流の象徴である。幼少期の、両親がいて、アイドルになりたくて、八雲なみに憧れた時期に母が剥いてくれたリンゴ、そして母が家からいなくなり、姉妹の共同生活が始まって、姉から教わった皮剥きで剥いたリンゴというように、皮を剥いたリンゴというのはにちかにとって幸福の象徴なのかもしれない。それ故に、食べる誰かを思ってにちかは、オーディションのときにも皮を剥いたのではないかと、はづきはなんとなく感じていたのかもしれない。

このあと、姉妹二人でにちかの切った皮付きのリンゴを食べる。
皮付きでも、おいしいのである。
そこで彼女は、なにかを思いながら、「よかったね」とはづきに言うのである。
皮を剥いたリンゴは確かに幸福の象徴ではあるはずだが、皮の付いたリンゴでも、ここには確かに幸福が生まれている。はづきという姉の存在がリンゴの皮も剥けなかった幼い自分を肯定してくれて、それで面倒を見てくれて、皮剥きまで教えてくれたことを、リンゴを通して、にちかは見たのではないか。僕はそう思うのである。
第四項「 なし。」
「いつから……怖くなくなったんだっけ」 七草にちか
リンゴの話をしていたらリンゴが食べたくなっちゃったシャニマスのキュート担当、シャニPがリンゴを剥いて食べようとするも、道具からわからないところに、にちかが現れ見事な皮剥きを披露する。
その時に、オーディションではできなかった素早い皮剥きを披露するのだが、ここで発したセリフが引用部である。
初めて皮剥きをしたときに凸凹とした見た目になってしまったリンゴを見て不満げなにちかと、「食べちゃえば同じ」というはづき。そんな幼少期を思い、にちかは「──練習したので」と溢す。
出来上がったリンゴは、素早く、丁寧に剥かれていた。
にちかはもう既に、教えてくれたときの姉の領域にまで至っていることに、シャニPの言葉で気づく。
人の言葉で聞いて、改めて自分の現在地を知り、深まるのが先達への感謝ではないか。
正直この項はシャニPがキュートアピールを頑張りすぎているので抑えてほしい。
【容態急変】
では最後の項について

な、
なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?!?!?!?!?

ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!

どりゃあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!









ふう…………
最終項「いつも思ってること」
ここまでの濃厚な伏線を回収しつつ、では七草にちかにとっての感謝とは。
台所でタコさんウインナーを作るはづきが珍しく指を切ってしまうシーンから始まる。
ここで代わりに続きを作るというにちかに対して、これまでは感謝をいつも心のなかで思っている、としか言っていなかったはづきが、ここで感謝を言葉にする。
ありがとね、にちか
いつも、ありがとう 七草はづき
その後、にちかはシャニPとともに仕事へ向かう最中に『感謝の気持ちを伝えよう』というのぼりを見つけ、にちかに感謝を伝える。
にちか (中略)
ありがとうな
プロデュース、させてくれて シャニP
その後、にちかはそんな感謝を述べるシャニPをからかいつつも、内心でこう言う。
『ありがとう』なんて……
別に──
お母さんにも、お姉ちゃんにも
パパにもプロデューサーさんにも
いつも
思ってます、から 七草にちか
ここまでで仮説を立てて勘違いしていたことがある。
感謝を思う、と、感謝を言葉にする、という関係を二項対立的に捉えていたことだ。
これは対立概念ではなく、進化過程にどちらもあるのである。
この進化過程を書くのならば、「感謝を思う」→「感謝を思っていることを言葉に出す」→「感謝を言葉にする」となる。
つまり、本シナリオにおいて、はづきは最終点に至っているのに対して、にちかは、姉のスタート位置に、最後の最後で呟くように追いついたということである。もちろん最初の段階にはにちかも最初からたどり着いてはいるのだが……。
僕にはこのシナリオにおいて、七草にちかが恥ずかしがって感謝を伝えられなかっただけとは思えないのだ。
思うに、彼女の感謝の念は、大きすぎるのではないだろうか。
姉にしても、両親にしても、プロデューサーにしても、彼女の夢を育み、成長を促し、辛いときに手を取ってくれた存在である。
それに対して、「ありがとう」の言葉では、なんだか伝わりきらない気がして、そんなことを思っているうちに言葉にする機会を失ってしまっていたのではないか。
僕にはそんなシナリオに思えたのだ。
最後に 〜ダイナマイトウルトラ感謝〜
本シナリオでは七草にちかとそれを取り巻く環境を通して、彼女に関わるものの表象する事象であったり、彼女にとっての感謝というものについて考えさせられた。
そうなると、自身の感謝の念というものも、見直す必要がある。
無論親兄弟には感謝の念が絶えない。
友人諸君にもこんな長文ティラノサウルスとガウガウやってくれて感謝している。
だが、
何よりも感謝すべきは……
こんな素晴らしいカードを無料10連でくれた高山Pだ!!!!!!

ありがとう高山P!!
ありが39〜〜!!!!!!!!!(違う)

